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■やましたきよし(山下清)さんが来た時 [私の昭和30年代]

■やましたきよし(山下清)さんが来た時

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

僕たちがまだ小学校の頃は、周囲にもちろん高い建物などはまったくなく、体育用具置き場のある校舎の二階の廊下から天気の良い日には、富士山がはっきりと見えました。空気もまだ澄んでいたのです。
クラスによっては教室からも富士山が見えたものでした。
そんな日に誰かが教室に駆け込んで来て「やましたきよしが来ているよ!」と興奮した声で言いました。
その声に数人の生徒が席を立ちました。僕もみんなの後を追ったのでした。
二階の廊下で富士山を真向かいに見て、ランニング姿に半ズボンの人が一生懸命に画用紙に向かっていました。
覗いても嫌な顔もしないで、黙々と一生懸命にスケッチをしています。
まだ途中のスケッチは、ただ風景を描いているだけなのに、街にはちゃんと人が住んで居る感じがして、富士山がそれを見守っているような気さえしたのでした。
この頃、山下清って有名な画家だとはまったく知りませんでした。
山下清は日本中を放浪していたことで知らていますが、まさかこの駒本小学校に来るなんて、なんとも意外中の意外のことでした。
後の裸の大将放浪記は、この画家の山下清をモデルに描いた人情テレビドラマでしたが(1980年から1997年にかけて制作:東阪企画・関西テレビ、フジテレビ系列の『花王名人劇場』→『花王ファミリースペシャル』のシリーズとして放映されました。芦屋雁之助主演で彼の代表作となりました。)実はこのテレビを見るまで、こんなに凄い人だとは思わなかったのです。
「ちぎり紙細工」の作品が有名なのですが、彼のスケッチをリアルタイムで見たと言うこと自体、それはなんとも貴重な体験だったと思います。
今だったらとても学校内に部外者が入ることなど出来ませんが、この頃はいたってオープンだったので可能だったのでしょう。
この時代、近所の人はみな顔見知りで、どこの家の子も同じように叱られたり拳固をもらったりしていました。
町中が子供を見守っている。あの頃はそういう人間らしい優しさが溢れていたような気がします。
その頃に出会った、やましたきよしさんが無心に絵を描いている姿を見て、絵は楽しんで描くものだと教わった気がします。

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