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■絵にまつわるトラウマ [私の昭和30年代]

■絵にまつわるトラウマ

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

僕は絵にはかなりコンプレックスを持っていて、絵が下手なことをいつも気にしていました。
これはきっとあのトラウマのせいだと思います。

上級生になって図工の時間にミロのビーナスの石膏像のデッサンを描く時間がありました。この日はなんだか集中力もあって結構似ている感じに描けていました。描いている途中でクラスの子が覗いて「似てる」とか「すごい」とか言ってくれます。なんだか恥ずかしいが嬉しくもありました。「これを使ったら」と絵を習っている子から木炭を渡されたのですが、これには困まりました。だって木炭なんか使ったことなかったので、使い方がわからなかったからです。なんとかお断りして鉛筆のみで仕上げました。

ここで件のトラウマの話をしようと思います。これは忘れもしない幼稚園の時のことでした。父兄参観の日に園児全員でお絵かきをすることになっていました。その日は僕の母も来ていて、どのお母さんよりも綺麗に見えるので目立っていました。
園長先生は教壇にチューリップの咲いた鉢を置き「今日はみなさんでチューリップのお花をかきましょう」と言いました。
そして園児一同は一斉にみな思い思いにクレヨンを持って画用紙にチューリップを書き始めました。
しかし僕はというと、花は女子の描くもので、男の僕は描きたくないという変なプライドがあったので、輪投げのセットを描いたのです。輪投げにちゃんと綺麗に三色の輪がかかっている図です。自分で良く描けていると思いました。褒めてもらえると思っていました。
「さあできましたか」という園長先生の声に、みんなは様々なチューリップの花を描いた画用紙を元気よく掲げました。
だがしかし、チューリップ以外のものを描いたのは僕だけでした。それを見た園長先生はビックリした表情を向けます。他の先生も、父兄の方々も戸惑うような表情になるのがわかりました。
まわりの空気をいち早く感じた母が僕の席まで早足でやって来て、いきなり僕の描いた輪投げの軸を緑色に塗り、土台を鉢に書き替えて、さらに投げ輪をうまく葉っぱに書き替え、花を描き加えてしまったのです。静寂のなかで輪投げのセットは、母によりものすごい早さでチューリップの花と鉢になってしまいました…描き終えると母はクレヨンをドンとばかりに置いて、颯爽と自分のもといた場所に帰って行きました。このときの場の空気はとても忘れられないものとなりました。
僕としては、子供心に自分の好きな絵をなぜ描いてはいけないのかという疑問と、それを直されてしまったというショックだけが残っていました。
母も大勢の父兄の手前すごく世間体が悪く、恥ずかしかったので飛び出してきたのでしょう。

ミロのビーナスに話を戻しますが、この絵がクラスのみんなから褒められたから、初めて絵を描くことが楽しいと思いました。やはり褒められるのが上達の一番の道なんだろうと思うのです。先生に褒められるのは特に嬉しかったことを覚えています。みんなありがとう。

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