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父の葬儀の場合 [つれづれ帳]

父の葬儀の場合

普通このようなことを話題にしないと思うが、いざというときのために体験談を記しておこうと思う。
参考になれば幸いです。

父が大学病院で亡くなったのは夜11時ごろだった。母と妹そして長男の私で、父の最後に立ち会った。遺体は2時間くらいで病院地下の霊安室に移される。このあたりでやっと「そうか、葬式を出さなきゃ」と現実にかえるのだった。この病院では、霊安室に葬儀業者が当番制で待機していた。遺体は朝までしか霊安室で預からないということもあり、特に知っている葬儀社もなく、病院にいた業者に決めた。
家に帰るとほぼ4時だった。喪主は母なのだが、喘息が重く、とても相手をできる状態ではなく、妹と私とで業者と打ち合せをした。しかし、父の死が突然のせいもあるが、まだ心が受けつけていない。何せ初めての経験で右も左もわからない。頭がぼーっとしている所に、業者の説明と葬儀のプラン、料金、式の手配手順、料理の選定、香典返し、斎場についてなど、カタログやパンフレットを見つつ、ほとんど質問に答える感じで見積もりを決めていく。頭がしびれている感じで物を考えるのも億劫だ。知識がなく判断がつきにくいものは業者にお任せとして、打ち合わせの最後に見積もりを確認。あと通夜及び告別式の日取りを確認。これが早朝6時くらいまでかかった。もう既に疲れている。まず、寺に電話し住職に事情を話し、その後、親戚、兄弟、知人らへの連絡。ここでやっと一段落。異常に疲れた。
通夜は金曜日の夜6時から8時半まで。焼香の間は会場にいなくてはならないが、その後は会食している人々に挨拶をし、寺の住職の相手をするなど、結局自分は何も食べる暇などなかった。配膳係のチーフから付け届けのお礼を言われる。このようなことも含めて、事務的な作業はみな業者がやってくれる。斎場の手配、飾り付け、お寺さんの送迎のハイヤー、斎場でのいろいろな付け届け、死亡届の提出などなど。
翌日の告別式は10時から13時半まで。式の進行も業者がその都度指示してくれるので戸惑うことはなかった。棺に花を敷き詰めて最後のお別れをし火葬場へ。と、その前に喪主の挨拶をする。これも業者のカンペがあってその通り読めばいいのだ。でも、これくらいは自分でと思い原稿を作っておいた。しかし読み上げているうちに読み違え、後は頭の中が白くブッ飛んだ。一番言いたかった所で、どもってしまい言葉が出てこないのだ。「まずい!」と思い、そこをとばして最後のお礼の言葉へ。なんかひどく惨めだった。自分で書いた原稿がちゃんと読めなかったなんて恥だ。ひどく疲れた。
斎場と火葬場は隣り合わせなのだが、宮付の霊柩車で街を一巡りして火葬場に到着。この世にお別れという配慮か。しかし、無線で入り順を指示しているようなので、多分火葬の順番を調整しているのだろう。火葬場で担当の職員から付け届けのお礼を言われる。火葬の待ち時間に昼食を取る。住職と話しながら少しだけ食事をし待つ。連絡が来て再び火葬場へ。担当者が説明をした後、骨を骨壺へ納めた。
葬儀代の精算の日がきた。請求額は約二百数十万円となっている。私にはこれは大金だ。このために、少ない預金と学資保険の満期分、父の退職金、香典(半返し分を除く)を使い何とか支払いをした。後で調べたらこの額は東京都のほぼ平均葬儀代と同じだった。しかし、最初の見積もりと大きく違っているではないか。内訳を見てみると、金額が大きいのは、何と飲食代だった。通夜の当日に追加を数回以上しているのもそうだが、やはり単価が高い。これじゃ見栄を張るとこうなるという見本だ。後で冷静になり見積りを見直すと、知らないという事で、また業者任せにして、無駄な出費となったものが沢山あった。棺の質、遺影の大きさ、霊柩車の種類や位牌の大きさとか、ドライアイスの代金、生花など、何でも金額に跳ね返ってくると思って間違いない。見積もりには意外な落とし穴があった訳だ。この後、初七日から納骨まで、まだまだお金がかかる。本当にホッとしたのはお墓に骨を納めてからだった。そういえば、父は82歳で逝った。2005年4月春爛漫の事だった。

タグ:葬儀
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