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母の葬儀の場合 [つれづれ帳]

母の葬儀の場合

普通このようなことは話題にしないものだが、誰しもが経験することなので、
少しでも参考になればと思い掲載しました。

母もまた病院で亡くなった。84歳だった。ところがそれが2006年もあとわずかの12月29日の夜10時半くらいの事だった。
とにかくまず葬儀社を探さなくては。対応が便利なように家の近くの業者をタウンページで探した。今回も夜中の内に業者と打ち合わせとなった。前回の父の葬儀の費用のことを教訓とし、業者に素直にお金がないので安くあげたい旨を伝えた。見積もりの段階で見栄は一切張らない事にした。見積りの内容を業者にお任せということもしなかった。解らないことは質問し納得のいくまで話合った。棺も上質なものは高いので普通のものに、祭壇も普通のものにするなど、とにかく省けるオプションはすべてやめた。ただ、火葬は最上級にし、残るものなので骨壺も良い物にした。霊柩車も普通のもので十分。
暮れも押し詰まっているので、寺の住職と相談して先に火葬にすることにした。火葬場は31日午後1時に予約が取れた。ギリギリ間に合った。この午後の時間のおかげで食事を出さないで済み余計な出費を抑えられる。細かいがドライアイスの代金すら節約できる。本当に見栄も外聞も捨てている。
告別式は、年明け早々の1月6日の午後2時から3時で組んでもらった。この時間にすることで、ここでも食事を出さないで済むからだ。こうして、母の葬儀は、見積もり通り約130万円で収まった。だが、家計的には父の葬儀の際に預金が底をついていた。仕方なくキャッシング・ローンで借りた。後日ローンを返済するために、今まで買い集めたCDのコレクションを600枚位、DVDのコレクションを200枚位すべて売り払った。
しかし、ここでまだ思わぬ出費が生じた。母はアパートに住んでいたので家賃が必要だ。余計な出費を防ぐには1月いっぱいで引き払わなくてはならない。困ったのは、家具やら布団やら生活用品が意外に多くあり、仕方なく不要品の回収業者に依頼した。これに約17万円もかかってしまった。これは意外に重い出費だった。アパートの物が片付いた所で、妹とふたりでご近所をまわり挨拶した。
やはりホッとしたのは、墓にお骨を納めた時だった。そして、葬儀に見栄を張らなくても、ちゃんと人並の式が立派に出来るという事を知った。要は心の問題なのだ。

タグ:葬儀
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父の葬儀の場合 [つれづれ帳]

父の葬儀の場合

普通このようなことを話題にしないと思うが、いざというときのために体験談を記しておこうと思う。
参考になれば幸いです。

父が大学病院で亡くなったのは夜11時ごろだった。母と妹そして長男の私で、父の最後に立ち会った。遺体は2時間くらいで病院地下の霊安室に移される。このあたりでやっと「そうか、葬式を出さなきゃ」と現実にかえるのだった。この病院では、霊安室に葬儀業者が当番制で待機していた。遺体は朝までしか霊安室で預からないということもあり、特に知っている葬儀社もなく、病院にいた業者に決めた。
家に帰るとほぼ4時だった。喪主は母なのだが、喘息が重く、とても相手をできる状態ではなく、妹と私とで業者と打ち合せをした。しかし、父の死が突然のせいもあるが、まだ心が受けつけていない。何せ初めての経験で右も左もわからない。頭がぼーっとしている所に、業者の説明と葬儀のプラン、料金、式の手配手順、料理の選定、香典返し、斎場についてなど、カタログやパンフレットを見つつ、ほとんど質問に答える感じで見積もりを決めていく。頭がしびれている感じで物を考えるのも億劫だ。知識がなく判断がつきにくいものは業者にお任せとして、打ち合わせの最後に見積もりを確認。あと通夜及び告別式の日取りを確認。これが早朝6時くらいまでかかった。もう既に疲れている。まず、寺に電話し住職に事情を話し、その後、親戚、兄弟、知人らへの連絡。ここでやっと一段落。異常に疲れた。
通夜は金曜日の夜6時から8時半まで。焼香の間は会場にいなくてはならないが、その後は会食している人々に挨拶をし、寺の住職の相手をするなど、結局自分は何も食べる暇などなかった。配膳係のチーフから付け届けのお礼を言われる。このようなことも含めて、事務的な作業はみな業者がやってくれる。斎場の手配、飾り付け、お寺さんの送迎のハイヤー、斎場でのいろいろな付け届け、死亡届の提出などなど。
翌日の告別式は10時から13時半まで。式の進行も業者がその都度指示してくれるので戸惑うことはなかった。棺に花を敷き詰めて最後のお別れをし火葬場へ。と、その前に喪主の挨拶をする。これも業者のカンペがあってその通り読めばいいのだ。でも、これくらいは自分でと思い原稿を作っておいた。しかし読み上げているうちに読み違え、後は頭の中が白くブッ飛んだ。一番言いたかった所で、どもってしまい言葉が出てこないのだ。「まずい!」と思い、そこをとばして最後のお礼の言葉へ。なんかひどく惨めだった。自分で書いた原稿がちゃんと読めなかったなんて恥だ。ひどく疲れた。
斎場と火葬場は隣り合わせなのだが、宮付の霊柩車で街を一巡りして火葬場に到着。この世にお別れという配慮か。しかし、無線で入り順を指示しているようなので、多分火葬の順番を調整しているのだろう。火葬場で担当の職員から付け届けのお礼を言われる。火葬の待ち時間に昼食を取る。住職と話しながら少しだけ食事をし待つ。連絡が来て再び火葬場へ。担当者が説明をした後、骨を骨壺へ納めた。
葬儀代の精算の日がきた。請求額は約二百数十万円となっている。私にはこれは大金だ。このために、少ない預金と学資保険の満期分、父の退職金、香典(半返し分を除く)を使い何とか支払いをした。後で調べたらこの額は東京都のほぼ平均葬儀代と同じだった。しかし、最初の見積もりと大きく違っているではないか。内訳を見てみると、金額が大きいのは、何と飲食代だった。通夜の当日に追加を数回以上しているのもそうだが、やはり単価が高い。これじゃ見栄を張るとこうなるという見本だ。後で冷静になり見積りを見直すと、知らないという事で、また業者任せにして、無駄な出費となったものが沢山あった。棺の質、遺影の大きさ、霊柩車の種類や位牌の大きさとか、ドライアイスの代金、生花など、何でも金額に跳ね返ってくると思って間違いない。見積もりには意外な落とし穴があった訳だ。この後、初七日から納骨まで、まだまだお金がかかる。本当にホッとしたのはお墓に骨を納めてからだった。そういえば、父は82歳で逝った。2005年4月春爛漫の事だった。

タグ:葬儀
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なったぞ、根尖病巣! [つれづれ帳]

なったぞ、根尖病巣!

~私の体験記~

これは今年の1月のことである。
前週の金曜日あたりからなんやら、右上いちばん奥の歯が痛くて、食事が噛めなくなったきた。土曜日の夜から日曜日は最悪に痛くなった。最初は、かみ合わせが悪くなり歯茎が痛いのかと思ったが、ちょっと冗談でない痛さになってきたので、今日歯科医院に駆け込んだ。
レントゲンを撮り診断は、根尖病巣ということだった。家に帰って調べてみると「歯の歯根の先端付近にできる病気(歯根肉芽腫、歯根嚢胞など)の総称」だとネットに出ていた。この根尖病巣部分は、レントゲンで見ると黒く見えていて、先生の説明では「レントゲンで黒く写るということは、その部分の骨が溶けて無くなっている証拠で、再石灰化している場合もある」ということだ。根尖病巣自体はほとんど自覚症状が無いことも多いが、放置してそのままにしていると、あるとき急に痛みが出始めたり、健康な隣の歯にまで悪影響を及ぼしてしまったりするので、適切に対処することが必要との事。
この歯は15年くらい前に治療して全面にかぶせる、いわゆるクラウンになっているが、歯根の部分の処置が不完全だったらしい。
なので、クラウンを削って改めて歯根をきれいにすれば抜歯しなくても大丈夫というお話なので、今日1度目の治療を受けた。いくら神経が無い歯とはいえ、あの削る恐怖と、歯根をごりごりしこしこやる感じが、もう辛いし汗が出てきてしまった。20分ほどで終わったが長く感じた。いやぁまいった。しばらく通うことになるようだが、普段から注意していてもこれだもんね。過去に歯を治療した事のある人はみな要注意だと思う。
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珈琲豆の違い [つれづれ帳]

生豆と焙煎豆の違いを撮影してみました。
豆はハワイコナ(エクストラファンシー)で、コクと柔らかい酸味が特徴です。

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生豆

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焙煎後

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生豆の大きさを比べてみました。
左はガァテマラ生豆、真ん中がハワイコナ(エクストラファンシー)生豆、右がブラジル(18番)生豆です。

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ガァテマラ生豆のアップ。

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ブラジル(18番)生豆のアップです。

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このように豆の大きさが違います。















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自家焙煎の珈琲豆店「飛行島」 [つれづれ帳]

自家焙煎の珈琲豆店「飛行島」

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調布駅からすぐにある自家焙煎の珈琲豆専門店「飛行島」は開店以来十年以上も利用している。
お店に入ると小さいカウンターがあり、試飲用の小さいカップで、まあ1杯と珈琲を出してくれる。
つい長居をしてしまう事もある。

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丁度焙煎している所だったので写真を撮らせていただきました。

焙煎中の釜。

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焙煎が終わった豆を出した瞬間。

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焙煎の終わった豆を冷ましているところ。

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珈琲(ペーパードリップ)の美味しい淹れ方 [つれづれ帳]

珈琲(ペーパードリップ)の美味しい淹れ方と珈琲の保存について

コーヒーが好きなもので淹れ方の基本を書いてみます。
慣れたら蒸らし時間を調節したり、粉を多くしたりと色々やってみると面白いです。
豆は銘柄により「苦み」系と「酸味」系に大きく2つに分けられます。
色々な豆を味わってみて気に入ったものを探しましょう。
何よりもコーヒーを自分の好みの濃さで淹れられるのがいいですね。

*ペーパードリップの抽出の仕方 2~4人分

1.お湯の用意
 水は新鮮なものを使い、約1分位沸騰させて下さい。(長くても2~3分)水道水のカルキ分などはこれで抜けます。それ以上沸騰させ続けると、酸素が抜けて珈琲に力がなくなってしまいます。火を止めたら、蓋を半分くらい開けてお湯を少し落ち着かせます。抽出に適した温度は酸味系で90℃位、苦味系で80℃位、中庸なら83℃位がよいとされています。
 ヤカンでは細くお湯が出せないのでポットにお湯を移すのがよいでしょう。

2.準備
 ポット、ロト、サーバー、カップはよく温めておきます。またロトはできるだけ下の穴の大きなものを使って下さい。ペーパー(濾紙)をロトにセットしておきます。
 豆はペーパードリップ用に挽いたものを人数分用意します。

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3.粉の分量
 粉は一人分約12グラム~17グラムが適量です。苦味系や酸味系、中庸系と珈琲の粉の量が違います。自分の好みの味になるように調節するのもよいでしょう。
 また、一人分淹れるときでも二杯分淹れる方が、失敗も少なく美味しい珈琲ができます。(一人分の粉ではお湯がすぐに落ちてしまい、コクのある珈琲を抽出するのがむずかしくなります。)
 また一度に淹れる量としては2~4人分位までが適当です。それ以上淹れる場合は回数を分けたほうが無難です。

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4.抽出の仕方
・一度目の抽出~蒸らす
 ロトに人数分の粉を入れて、お湯をできるだけ細く、静かに粉の中心に落とします。「の」の字を描くように、周囲にも少しずつお湯を落とし、粉全体にお湯がゆきわたるようにします。お湯が染みていないところがあると、お湯はそこをさけて通ってしまいます。
 目安としては、サーバーに珈琲液がポタポタと落ちたらやめます。粉にお湯がまわり、粉が膨張し山がたにふくらみます。この状態で約10~15秒程おきます。

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・二度目の抽出
 中心から丁寧に細く「の」の字を描くようにお湯を注いでいきます。ロトの中心から始めて、渦巻き状に内側から外側、そして内側へと往復しながら注湯します。
 粉が泡立つようにふくらんでくれば新鮮なよい珈琲の証拠です。やがて最初の珈琲がサーバーに落ちてきます。

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・三度目の抽出
 二度目の抽出で真ん中に窪みができます。この窪みのお湯が落ちきらないうちに三度目の抽出を始めます。同じようにお湯を注ぎますが、同様の方法でさつきより少し速めにお湯を注いでいきます。
 このときにロトにセットしたペーパー(濾紙)近くにお湯を注ぐと、その部分は珈琲の層を通らないでそのまま下へ落ちてしまいますので注意しましょう。

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5.抽出の完了
 3~4回位で必要な量の珈琲を抽出します。抽出時間は酸味系珈琲で2分位、苦味系珈琲で3分30秒までに終わるようにします。終わるときは、まだ上にお湯が残っているうちにロトをサーバーからはずします。そのままにしますと、珈琲の脂分が下に落ちてしまい、せっかく抽出した透明な珈琲を濁らせたり、味を悪くするもとになります。

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*豆と粉の保存について
1.豆の場合は常温でしっかりとしたビンやカンに入れ、高温多湿の場所をさけ、保存して下さい。
(6月から9月位の間は、冷蔵庫か冷凍庫へ。)
2.粉の場合は、年間を通して迷わず冷凍庫へ、使ったらすぐにしまいましょう。

















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中央線快速AV電車? [つれづれ帳]

中央線快速AV電車?

~私の体験記~

これは、かなり昔の話。
当時、仕事場が阿佐ヶ谷にあった時のことです。
いつものように、お茶の水から中央線快速に乗りました。季節は初夏、だいたい10時過ぎだと思います。その車両には、お客は僕も含めて男性3人だけでした。快速では、お茶の水駅の次は四ッ谷駅に停まります。
その四ッ谷駅で、ミニスカートの若い女性とビデオカメラを持った若い男の子と、あと2人のやはり若い男性が乗り込んできました。ちょうど、僕は車両のほぼ真ん中の端に座っていました。その斜め向かいにその連中がやってきました。すると、ミニスカートの女性だけが座席に座り、いきなり足を広げたのです。僕のすぐ斜め前です。僕は見るともなしに、すっかり白い下着を見てしまいました。と、ビデオカメラを持った若い男の子がしゃがみ込んで撮影を始めました。「女性はもっと、広げる?」とか言っています。頷くのはついてきた男性です。「もう少し斜め」とか、彼らは女性にポーズを指示しています。そこで、気づきました。「ああ、これAVの撮影か」って。
僕の座っている座席の同じ列の端に男性のお客がひとり居ましたが、見てないふりをしつつ身体をずらし、しっかり見ていました。その向こう、車両の隅に座っている男性はまったく気づいていません。なので、僕ともうひとりの男性だけがこれを目撃したことになります。
それにしても、なんとも堂々と足を広げて薄地の下着をしっかり見せている女性の表情は、恥じらいもなく輝く笑顔です。むちむちの太ももも露わに、ここまで大胆に見せつけられると、目が合うとこちらが引け目を感じてしまうのは何ででしょう?今更、寝たふりも出来ず、かといってじーっと見るわけにもいかずで、目のやり場に困りました。いろいろポーズを変えつつ撮影は続き、おかげでいろんな角度から、あられもない姿態を見せられる羽目になりました。お断りしておきますが、これは自分の意志とは関わりなくですからね。
次に停まる駅は新宿駅です。新宿駅のホームに電車が進入していくと、この連中は何事もなかったように立ち上がり、車両のドアが開くと、ごく普通の人として出て行きました-まるで、そんな事なんか無かったかのように。
この四ッ谷から新宿間、たったの約5分でしたが、強制的にAV撮影の風景を目撃したのでした。














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初めてのパトカー [つれづれ帳]

初めてのパトカー

~私の体験記~

これはだいぶ昔に会社で仕事をしていた時の話。
会社の同僚と会社の車で打ち合わせに出かけた。車の運転は同僚がしていて、僕は助手席に乗っていた。曇りだった天気がさらにくずれて、やがてポツポツと雨が落ちてきた。
車は丁度十字路で右折するところだった。ほぼ右折が終わったあたりで、傘を差した自転車が突っ込んで来た。自転車の人は傘で完全に前が見えていなかった。僕の方が先に気づいて同僚に「ブレーキ!」と叫んだ。車はすぐ停まったが傘を差した自転車はそのまま突っ込んできて、ドンッ!という音と共に自転車の人がボンネットの上にドサリッと転落してきた。自転車の人は学生らしい男性ですぐに立ち上がって、しきりに僕たちに謝っていた。自転車は少し歪んでいたが、本人には怪我もなく、本当になんともなかった。だが、近くの商店の人が慌てて出てきて「警察を呼んだから居てくれ!」と言うのだ。自転車の本人も警察は呼ばなくていいですと断っているのに、商店の人は譲らない。その理由が以前、やはり事故があり警察を呼んだとき、事故の当人たちが居なくなってしまった。なのでまた当事者が居ないと、電話をした自分としては困るという事であった。そしてご丁寧に腕を捕まれてしまいどうにも動きが取れない。
そのうちパトカーと救急車が来た。警察の現場検証に立ち会う。現場検証は完全に警察のペースだ。自転車の学生は救急車の人と話していたが、やはりなんともないようだった。でも、一応病院に向かった。助手席の僕は第一発見者として調書を取られる事になった。会社の車は警察官が運転して所轄の警察に先に向かった。僕はひとりパトカーに乗せられて、横には警察官が付きそう。なんか自分が犯人になったような感じになる。パトカーに乗るとき思わす世間体を気にしてしまった。何故かニュース映像の顔を隠す犯人を思い出す。しかし初めてのパトカー乗車だった。それはそれでなんだか嬉しい。
そして警察署で取調室に入る。これだぁ、あのドラマとかの取調室だ。机がひとつ、パイプ椅子。スタンドこそ無かったが間違いなく本物の取調室だ。そこで調書を取るのだが、自分で書くのだと思っていた。だが、そうではなく担当の警察官が事情を聴きながら文章をまとめるのだ。これは知らなかった。運転していた同僚が必ずしも悪いという状況でなかったので庇うような発言をすると、すかさず「もっと注意していれば、よかったんじゃないか」とか、上手く答えを誘導していくではないか。これか‥‥官権の力ってのは!とは思っても警察官の誘導のままに答えるより仕方なかった。15分位で調書は出来上がり、署名をする。あっけなく終わった。運転者の同僚の方の調書がまだ終わっていなかったので、警察官と世間話をしているうちに雑談となり、下世話な話題で盛りあがってしまった。そういえば警察官と話していて大笑いしたのは初めてだ。あとで、同僚に怒られた。「なんで、楽しそうに笑ってるんだよ。こっちは大変だったんだから」と。幸いなことに、やはり自転車の学生に異常はなかった。









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虫歯の逆襲! [つれづれ帳]

虫歯の逆襲!

~私の体験記~

これは高校生の時の話。
自分から見て、下右奥から2番目の永久歯が虫歯になっていた。この虫歯は抜け替わったときにすぐ虫歯にやられてしまったもの。近所の商店街にある歯科医院で治療してもらったが、これがとんでもないヤブ医者だった。必要以上に深く削られ、あろうことかミスって神経まで抜かれてしまったのだ。今なら絶対医療ミスだろう。
詰め物も技術が下手なせいか高校の時に痛んできた。その歯が異常に痛くなんか歯がぐらついているではないか。歯茎も腫れてきてぶよぶよしている。かなりヤバイなと思い歯科医院に行くことにした。その時は引っ越していたので、近所に本当に上手い先生が居たのだ。
さて病院に行くと休業日ではないのに張り紙がしてある。「八丈島に検診に行きます」とあるではないか!うそだろうと何度も見返すがその張り紙はそこにある。戻るのは2日後とある。ここは例の商店街の歯科医院に行く手もあるが、あそこだけは嫌だ。なので先生が戻ってくるまで我慢することにした。男の子は我慢である。
その日の夜辺りから痛さがさらに酷くなってきた。歯茎の腫れも大きくなっているみたいだ。食事が思うように取れない。なんか熱も出てきたようだ。でも我慢して寝た。よく寝れば少しは違うだろうと勝手に思った。だがそれは甘かった。
翌日からはもう一段強い痛さに変わった。痛さが鼓動のようにドクドクとするのだ。母にほっぺが膨らんでるよと言われて鏡を見ると、右のほほがぷっと膨らんでいる。それとすごい肩こり。熱を測ると38℃弱。とにかく冷やす。先生が戻るまであと1日ある。その日は母が柔道整体のおじさんが呼んでマッサージしてもらっていた。僕も肩の辺りをやってもらった。が、それで血行が良くなったのか、痛さのランクがさらに上がった。その日はさらに熱が上がり39℃辺りまで上昇。痛さズキンズキンズキンのドクッドクッドクッになった。こうなると冷やしても眠れない。
さて翌日は先生が戻ってくる。その希望を胸に過酷な拷問に耐えるのだった。ほっぺの腫れはさらに酷くなり、痛みは引き続く拷問のようで涙が出てくる。熱はとうとう40℃に近くなった。もう食べる余裕はない。しかし、痛いときって不思議と生きていることを感じるのはなぜだろうか?なんて考えている。翌日は先生が居る。頑張れ!という気力はすでに痛みで失せて、もうダメだの感覚が支配する。ぐったりとした身体に、意地悪くもゆっくり流れる時間と闘うのだった。
さて翌日朝一番で先生の所に。さすがに先生は「何でもっと早く来なかったの」とは言わなかったが、不在でごめんと言って見てくれた。まずは炎症を抑えるために抗生剤を貰った。炎症があるうちは本格的な治療が出来ないのだ。
診断の結果は「骨膜炎」だった。
ご存じ無い方が多いと思うので「骨膜炎」について説明。
虫歯の穴や歯周ポケットから細菌が入り込み、強い痛みや、腫れ、発熱などを引き起こす病気で、炎症がひどく歯茎だけでなく顎の骨を覆っている骨膜にまで達します。重症になると炎症が肺付近まで及ぶ事もあり、こうなると血液の中にまで細菌が入り込み全身にまわると死に至る事もあるそうです。
う~っ、そうとう恐い病気になってたんだ。抗生剤(抗菌剤)を飲んで炎症を押さえてから原因となる虫歯の治療を行う。若かったせいか薬を飲むと割にすぐ楽になった。炎症も治まり痛みもウソみたいに楽になった。そこでいよいよ治療に入る。歯を診て先生は「これは抜かないとダメだな」と一言。まだ永久歯は抜いた事がないので、これより未知の領域に突入。正直恐いです。歯を削るのもそうとう恐怖感がつのりますが、抜歯となるとまた違う恐怖感がつのります。
麻酔の注射針が歯茎に突き刺さる。ズブッという感じがし、ズッと針が歯茎に中に入っていくのだが、それが普通は顎の骨で止まるところが止まらない!まるで歯茎の反対側に突き抜けるような感じがするではないか。先生が「これ、骨、溶けてるね」と言う。思わず動揺する。こちらの動揺をよそに麻酔薬がググッという膨らむような感覚で注入されるのだが、なんか量が多いような気がする。麻酔薬があふれ出て舌にさわると、苦い味と共にすぐ舌が痺れてくる。
そこで麻酔が効くのを待つ。ふとイスの脇を見るとペンチみたいな道具が見える。そうだよな、抜く時は力わざだよな…。緊張感がさらに高まる。なんか動悸もする。麻酔が効いてきて、口のまわりが腫れぼったく感じるようになる。感覚が無くなる。いよいよ抜歯。実際、抜歯する時は最終的にはペンチを使い、力で引き抜く。先生の手がブルブルする位力が入る!時間が長く感じる。こちらの手にも力が入る。思い切り肘掛けを握りしめて耐える。どんどん引っ張られていく感じがするので、反発してこちらも力が入る。突然、引っ張られる感じがスッと無くなった。歯が抜けたのだ。ペンチで抜かれた歯は血だらけだった。自分の歯でも観たくない代物だ。とにかくホッとして、力を抜いた。奥歯の永久歯なので歯茎に大きな穴が開いたようになっている。少し休んで、これからこの穴を縫うのだ。
そこで痛みが出てきた。どうやら麻酔が切れてきたらしい。先生に呂律の回らない状態で「麻酔きれてきた」と言う。そこでまた麻酔剤を注射。思い切り麻酔薬が漏れまくっている!口中が苦いし痺れるしで気分が悪い。抜歯後の傷口を縫うのも、縫われている感じがちゃんとするが、痛くはない。「よく我慢したね」と先生に言われても、ぐったりで力なく頷くのみ。化膿止めと痛み止めの薬を貰って、「なんかおかしかったらすぐ来てね」と先生に送られて家に帰った。
家に戻った辺りから、麻酔も切れて痛みが出始めた。炎症を起こしていた時とは違う痛みだ。舌で傷口辺りを探ると穴が大きかったことが判る。その日は夕食が食べられなかった。痛みもかなり酷くなってきたのが、炎症を起こしていた時よりは楽だと思った。なので痛み止めは最初の1錠だけしか使っていない。あとはひたすら痛みを耐えた。日に日に痛みは和らぎ傷も塞がっていった。

教訓としては、虫歯や歯周病は「痛くないから大丈夫」などと安易に考えてはいけません。定期的に歯科医院に行き治療の必要な歯は治しておくにかぎります。これ経験者の忠告、心して肝に枚ずるべし。

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予備校のトイレにて [つれづれ帳]

予備校のトイレにて

~私の体験記~

これは、まだ予備校に通っていた頃のトイレであった出来事。
その日はちょうど、予備校のテストの日であったが、朝からお腹の調子が悪い。予備校に着いた辺りでお腹が痛くなりトイレに駆け込んだ。
トイレの扉を開けたとたん唖然とした。トイレは和式で当時ではよくあるトイレだった。だが、壁という壁に文字や絵がびっしりと描かれているではないか!それも赤裸々な叫びのように卑猥な言葉が書かれているのだ。絵も、もろ卑猥な猥褻図画で、リアルなのから、ド下手のまで、所狭しと描かれている。「うあっ、なんだこれ!」何度か消された跡があるが、いたちごっこだったようだ。とにかくお腹が痛いので用を足す。すると、目の前に小さな字で何か書いてある。『右をみて、素敵なあなたぁ』とある。つい右を見るとやはり同じ字体で『うふぅ~ッ、いいわぁ、左を見てね』とある。素直な僕は左を見た。こんども同じ字体で『もうすぐよぉ、おねがい来て、後ろを見て~ぇ』とある。ここまで来ると変な期待を抱きつつ後ろを見るよね、普通さ。僕も期待してゆっくりと後ろの扉を見た。そこに描いてあったのは『バカが見る~ッ!』といいう文字だった。当時純情だった僕はいたく傷ついたのだった。


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