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母の葬儀の場合 [つれづれ帳]

母の葬儀の場合

普通このようなことは話題にしないものだが、誰しもが経験することなので、
少しでも参考になればと思い掲載しました。

母もまた病院で亡くなった。84歳だった。ところがそれが2006年もあとわずかの12月29日の夜10時半くらいの事だった。
とにかくまず葬儀社を探さなくては。対応が便利なように家の近くの業者をタウンページで探した。今回も夜中の内に業者と打ち合わせとなった。前回の父の葬儀の費用のことを教訓とし、業者に素直にお金がないので安くあげたい旨を伝えた。見積もりの段階で見栄は一切張らない事にした。見積りの内容を業者にお任せということもしなかった。解らないことは質問し納得のいくまで話合った。棺も上質なものは高いので普通のものに、祭壇も普通のものにするなど、とにかく省けるオプションはすべてやめた。ただ、火葬は最上級にし、残るものなので骨壺も良い物にした。霊柩車も普通のもので十分。
暮れも押し詰まっているので、寺の住職と相談して先に火葬にすることにした。火葬場は31日午後1時に予約が取れた。ギリギリ間に合った。この午後の時間のおかげで食事を出さないで済み余計な出費を抑えられる。細かいがドライアイスの代金すら節約できる。本当に見栄も外聞も捨てている。
告別式は、年明け早々の1月6日の午後2時から3時で組んでもらった。この時間にすることで、ここでも食事を出さないで済むからだ。こうして、母の葬儀は、見積もり通り約130万円で収まった。だが、家計的には父の葬儀の際に預金が底をついていた。仕方なくキャッシング・ローンで借りた。後日ローンを返済するために、今まで買い集めたCDのコレクションを600枚位、DVDのコレクションを200枚位すべて売り払った。
しかし、ここでまだ思わぬ出費が生じた。母はアパートに住んでいたので家賃が必要だ。余計な出費を防ぐには1月いっぱいで引き払わなくてはならない。困ったのは、家具やら布団やら生活用品が意外に多くあり、仕方なく不要品の回収業者に依頼した。これに約17万円もかかってしまった。これは意外に重い出費だった。アパートの物が片付いた所で、妹とふたりでご近所をまわり挨拶した。
やはりホッとしたのは、墓にお骨を納めた時だった。そして、葬儀に見栄を張らなくても、ちゃんと人並の式が立派に出来るという事を知った。要は心の問題なのだ。

タグ:葬儀
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父の葬儀の場合 [つれづれ帳]

父の葬儀の場合

普通このようなことを話題にしないと思うが、いざというときのために体験談を記しておこうと思う。
参考になれば幸いです。

父が大学病院で亡くなったのは夜11時ごろだった。母と妹そして長男の私で、父の最後に立ち会った。遺体は2時間くらいで病院地下の霊安室に移される。このあたりでやっと「そうか、葬式を出さなきゃ」と現実にかえるのだった。この病院では、霊安室に葬儀業者が当番制で待機していた。遺体は朝までしか霊安室で預からないということもあり、特に知っている葬儀社もなく、病院にいた業者に決めた。
家に帰るとほぼ4時だった。喪主は母なのだが、喘息が重く、とても相手をできる状態ではなく、妹と私とで業者と打ち合せをした。しかし、父の死が突然のせいもあるが、まだ心が受けつけていない。何せ初めての経験で右も左もわからない。頭がぼーっとしている所に、業者の説明と葬儀のプラン、料金、式の手配手順、料理の選定、香典返し、斎場についてなど、カタログやパンフレットを見つつ、ほとんど質問に答える感じで見積もりを決めていく。頭がしびれている感じで物を考えるのも億劫だ。知識がなく判断がつきにくいものは業者にお任せとして、打ち合わせの最後に見積もりを確認。あと通夜及び告別式の日取りを確認。これが早朝6時くらいまでかかった。もう既に疲れている。まず、寺に電話し住職に事情を話し、その後、親戚、兄弟、知人らへの連絡。ここでやっと一段落。異常に疲れた。
通夜は金曜日の夜6時から8時半まで。焼香の間は会場にいなくてはならないが、その後は会食している人々に挨拶をし、寺の住職の相手をするなど、結局自分は何も食べる暇などなかった。配膳係のチーフから付け届けのお礼を言われる。このようなことも含めて、事務的な作業はみな業者がやってくれる。斎場の手配、飾り付け、お寺さんの送迎のハイヤー、斎場でのいろいろな付け届け、死亡届の提出などなど。
翌日の告別式は10時から13時半まで。式の進行も業者がその都度指示してくれるので戸惑うことはなかった。棺に花を敷き詰めて最後のお別れをし火葬場へ。と、その前に喪主の挨拶をする。これも業者のカンペがあってその通り読めばいいのだ。でも、これくらいは自分でと思い原稿を作っておいた。しかし読み上げているうちに読み違え、後は頭の中が白くブッ飛んだ。一番言いたかった所で、どもってしまい言葉が出てこないのだ。「まずい!」と思い、そこをとばして最後のお礼の言葉へ。なんかひどく惨めだった。自分で書いた原稿がちゃんと読めなかったなんて恥だ。ひどく疲れた。
斎場と火葬場は隣り合わせなのだが、宮付の霊柩車で街を一巡りして火葬場に到着。この世にお別れという配慮か。しかし、無線で入り順を指示しているようなので、多分火葬の順番を調整しているのだろう。火葬場で担当の職員から付け届けのお礼を言われる。火葬の待ち時間に昼食を取る。住職と話しながら少しだけ食事をし待つ。連絡が来て再び火葬場へ。担当者が説明をした後、骨を骨壺へ納めた。
葬儀代の精算の日がきた。請求額は約二百数十万円となっている。私にはこれは大金だ。このために、少ない預金と学資保険の満期分、父の退職金、香典(半返し分を除く)を使い何とか支払いをした。後で調べたらこの額は東京都のほぼ平均葬儀代と同じだった。しかし、最初の見積もりと大きく違っているではないか。内訳を見てみると、金額が大きいのは、何と飲食代だった。通夜の当日に追加を数回以上しているのもそうだが、やはり単価が高い。これじゃ見栄を張るとこうなるという見本だ。後で冷静になり見積りを見直すと、知らないという事で、また業者任せにして、無駄な出費となったものが沢山あった。棺の質、遺影の大きさ、霊柩車の種類や位牌の大きさとか、ドライアイスの代金、生花など、何でも金額に跳ね返ってくると思って間違いない。見積もりには意外な落とし穴があった訳だ。この後、初七日から納骨まで、まだまだお金がかかる。本当にホッとしたのはお墓に骨を納めてからだった。そういえば、父は82歳で逝った。2005年4月春爛漫の事だった。

タグ:葬儀
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なったぞ、根尖病巣! [つれづれ帳]

なったぞ、根尖病巣!

~私の体験記~

これは今年の1月のことである。
前週の金曜日あたりからなんやら、右上いちばん奥の歯が痛くて、食事が噛めなくなったきた。土曜日の夜から日曜日は最悪に痛くなった。最初は、かみ合わせが悪くなり歯茎が痛いのかと思ったが、ちょっと冗談でない痛さになってきたので、今日歯科医院に駆け込んだ。
レントゲンを撮り診断は、根尖病巣ということだった。家に帰って調べてみると「歯の歯根の先端付近にできる病気(歯根肉芽腫、歯根嚢胞など)の総称」だとネットに出ていた。この根尖病巣部分は、レントゲンで見ると黒く見えていて、先生の説明では「レントゲンで黒く写るということは、その部分の骨が溶けて無くなっている証拠で、再石灰化している場合もある」ということだ。根尖病巣自体はほとんど自覚症状が無いことも多いが、放置してそのままにしていると、あるとき急に痛みが出始めたり、健康な隣の歯にまで悪影響を及ぼしてしまったりするので、適切に対処することが必要との事。
この歯は15年くらい前に治療して全面にかぶせる、いわゆるクラウンになっているが、歯根の部分の処置が不完全だったらしい。
なので、クラウンを削って改めて歯根をきれいにすれば抜歯しなくても大丈夫というお話なので、今日1度目の治療を受けた。いくら神経が無い歯とはいえ、あの削る恐怖と、歯根をごりごりしこしこやる感じが、もう辛いし汗が出てきてしまった。20分ほどで終わったが長く感じた。いやぁまいった。しばらく通うことになるようだが、普段から注意していてもこれだもんね。過去に歯を治療した事のある人はみな要注意だと思う。
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アン・マキャフリイが大好き [本の作家の紹介]

ラッキーこたきちのこだわり●アン・マキャフリイ編

アン・マキャフリイで大好きなのは、なんと言っても〈パーンの竜騎士シリーズ〉が一番です。
分類上はSFとなっていますが、僕としてはSF+ファンタジーと思っています。
「竜の戦士」「竜の探索」「白い竜 」「竜の歌」「竜の歌い手」「竜の太鼓 」「竜の夜明け」「竜の貴婦人」「ネリルカ物語」「竜の反逆者」「竜の挑戦」「竜とイルカたち」「最年少のドラゴンボーイ(『塔のなかの姫君』所収) 」「竜と竪琴師」と、読んでいますが残念ながら結構忘れています。なんせ初めて読んだのは高校生の時でしたから。
大雑把な全体像で面白かったと覚えているのもありますが、細部の描写の面白さで印象に残っているものもあります。ドラゴンとの感応の儀式はとても印象に残っています。
この舞台になる独特の世界観は回を重ねる事に厚みをましていきます。
しかし、このシリーズ、毎回の冒険も興味深く面白いのですが、主人公の恋愛と成長が描かれていて、今回はどんなカップルが誕生するのだろうという楽しみもあります。

あと、どうしても印象強く残るのは〈クルスタル・シンガー〉のシリーズ。
「クリスタル・シンガー」「キラシャンドラ」の2作を忘れてはいけないでしょう。
絶対音感を使う特殊な職業という設定がぴたりとはまる、魅力的な女性が主人公。
この物語も、主人公の恋愛と成長を描いています。なんとも主人公の姿が映画的に残る感じが凄くします。

あとは「歌う船」シリーズや「恐竜惑星」シリーズとかも読みましたが、的確な設定と丁寧な描写でアイデアを見事に物語にしていると思います。
なんか、僕的にはハインラインのSFみたいに魅力的だと思うのです。


歌う船 (創元SF文庫 (683-1))

歌う船 (創元SF文庫 (683-1))

  • 作者: アン・マキャフリー
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1984/01
  • メディア: 文庫



竜と竪琴師―パーンの竜騎士〈10〉 (ハヤカワ文庫SF)

竜と竪琴師―パーンの竜騎士〈10〉 (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: アン マキャフリイ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2007/06
  • メディア: 文庫



竜とイルカたち ―パーンの竜騎士 <9> (ハヤカワ文庫SF)

竜とイルカたち ―パーンの竜騎士 <9> (ハヤカワ文庫SF)

  • 作者: アン・マキャフリイ
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2005/07/21
  • メディア: 文庫



恐竜惑星〈1〉惑星アイリータ調査隊 (創元推理文庫)

恐竜惑星〈1〉惑星アイリータ調査隊 (創元推理文庫)

  • 作者: アン マキャフリー
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1986/12
  • メディア: 文庫



恐竜惑星〈2〉アイリータの生存者 (創元推理文庫)

恐竜惑星〈2〉アイリータの生存者 (創元推理文庫)

  • 作者: アン マキャフリー
  • 出版社/メーカー: 東京創元社
  • 発売日: 1989/06
  • メディア: 文庫

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珈琲豆の違い [つれづれ帳]

生豆と焙煎豆の違いを撮影してみました。
豆はハワイコナ(エクストラファンシー)で、コクと柔らかい酸味が特徴です。

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生豆

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焙煎後

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生豆の大きさを比べてみました。
左はガァテマラ生豆、真ん中がハワイコナ(エクストラファンシー)生豆、右がブラジル(18番)生豆です。

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ガァテマラ生豆のアップ。

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ブラジル(18番)生豆のアップです。

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このように豆の大きさが違います。















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自家焙煎の珈琲豆店「飛行島」 [つれづれ帳]

自家焙煎の珈琲豆店「飛行島」

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調布駅からすぐにある自家焙煎の珈琲豆専門店「飛行島」は開店以来十年以上も利用している。
お店に入ると小さいカウンターがあり、試飲用の小さいカップで、まあ1杯と珈琲を出してくれる。
つい長居をしてしまう事もある。

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丁度焙煎している所だったので写真を撮らせていただきました。

焙煎中の釜。

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焙煎が終わった豆を出した瞬間。

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焙煎の終わった豆を冷ましているところ。

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珈琲(ペーパードリップ)の美味しい淹れ方 [つれづれ帳]

珈琲(ペーパードリップ)の美味しい淹れ方と珈琲の保存について

コーヒーが好きなもので淹れ方の基本を書いてみます。
慣れたら蒸らし時間を調節したり、粉を多くしたりと色々やってみると面白いです。
豆は銘柄により「苦み」系と「酸味」系に大きく2つに分けられます。
色々な豆を味わってみて気に入ったものを探しましょう。
何よりもコーヒーを自分の好みの濃さで淹れられるのがいいですね。

*ペーパードリップの抽出の仕方 2~4人分

1.お湯の用意
 水は新鮮なものを使い、約1分位沸騰させて下さい。(長くても2~3分)水道水のカルキ分などはこれで抜けます。それ以上沸騰させ続けると、酸素が抜けて珈琲に力がなくなってしまいます。火を止めたら、蓋を半分くらい開けてお湯を少し落ち着かせます。抽出に適した温度は酸味系で90℃位、苦味系で80℃位、中庸なら83℃位がよいとされています。
 ヤカンでは細くお湯が出せないのでポットにお湯を移すのがよいでしょう。

2.準備
 ポット、ロト、サーバー、カップはよく温めておきます。またロトはできるだけ下の穴の大きなものを使って下さい。ペーパー(濾紙)をロトにセットしておきます。
 豆はペーパードリップ用に挽いたものを人数分用意します。

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3.粉の分量
 粉は一人分約12グラム~17グラムが適量です。苦味系や酸味系、中庸系と珈琲の粉の量が違います。自分の好みの味になるように調節するのもよいでしょう。
 また、一人分淹れるときでも二杯分淹れる方が、失敗も少なく美味しい珈琲ができます。(一人分の粉ではお湯がすぐに落ちてしまい、コクのある珈琲を抽出するのがむずかしくなります。)
 また一度に淹れる量としては2~4人分位までが適当です。それ以上淹れる場合は回数を分けたほうが無難です。

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4.抽出の仕方
・一度目の抽出~蒸らす
 ロトに人数分の粉を入れて、お湯をできるだけ細く、静かに粉の中心に落とします。「の」の字を描くように、周囲にも少しずつお湯を落とし、粉全体にお湯がゆきわたるようにします。お湯が染みていないところがあると、お湯はそこをさけて通ってしまいます。
 目安としては、サーバーに珈琲液がポタポタと落ちたらやめます。粉にお湯がまわり、粉が膨張し山がたにふくらみます。この状態で約10~15秒程おきます。

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・二度目の抽出
 中心から丁寧に細く「の」の字を描くようにお湯を注いでいきます。ロトの中心から始めて、渦巻き状に内側から外側、そして内側へと往復しながら注湯します。
 粉が泡立つようにふくらんでくれば新鮮なよい珈琲の証拠です。やがて最初の珈琲がサーバーに落ちてきます。

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・三度目の抽出
 二度目の抽出で真ん中に窪みができます。この窪みのお湯が落ちきらないうちに三度目の抽出を始めます。同じようにお湯を注ぎますが、同様の方法でさつきより少し速めにお湯を注いでいきます。
 このときにロトにセットしたペーパー(濾紙)近くにお湯を注ぐと、その部分は珈琲の層を通らないでそのまま下へ落ちてしまいますので注意しましょう。

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5.抽出の完了
 3~4回位で必要な量の珈琲を抽出します。抽出時間は酸味系珈琲で2分位、苦味系珈琲で3分30秒までに終わるようにします。終わるときは、まだ上にお湯が残っているうちにロトをサーバーからはずします。そのままにしますと、珈琲の脂分が下に落ちてしまい、せっかく抽出した透明な珈琲を濁らせたり、味を悪くするもとになります。

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*豆と粉の保存について
1.豆の場合は常温でしっかりとしたビンやカンに入れ、高温多湿の場所をさけ、保存して下さい。
(6月から9月位の間は、冷蔵庫か冷凍庫へ。)
2.粉の場合は、年間を通して迷わず冷凍庫へ、使ったらすぐにしまいましょう。

















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中央線快速AV電車? [つれづれ帳]

中央線快速AV電車?

~私の体験記~

これは、かなり昔の話。
当時、仕事場が阿佐ヶ谷にあった時のことです。
いつものように、お茶の水から中央線快速に乗りました。季節は初夏、だいたい10時過ぎだと思います。その車両には、お客は僕も含めて男性3人だけでした。快速では、お茶の水駅の次は四ッ谷駅に停まります。
その四ッ谷駅で、ミニスカートの若い女性とビデオカメラを持った若い男の子と、あと2人のやはり若い男性が乗り込んできました。ちょうど、僕は車両のほぼ真ん中の端に座っていました。その斜め向かいにその連中がやってきました。すると、ミニスカートの女性だけが座席に座り、いきなり足を広げたのです。僕のすぐ斜め前です。僕は見るともなしに、すっかり白い下着を見てしまいました。と、ビデオカメラを持った若い男の子がしゃがみ込んで撮影を始めました。「女性はもっと、広げる?」とか言っています。頷くのはついてきた男性です。「もう少し斜め」とか、彼らは女性にポーズを指示しています。そこで、気づきました。「ああ、これAVの撮影か」って。
僕の座っている座席の同じ列の端に男性のお客がひとり居ましたが、見てないふりをしつつ身体をずらし、しっかり見ていました。その向こう、車両の隅に座っている男性はまったく気づいていません。なので、僕ともうひとりの男性だけがこれを目撃したことになります。
それにしても、なんとも堂々と足を広げて薄地の下着をしっかり見せている女性の表情は、恥じらいもなく輝く笑顔です。むちむちの太ももも露わに、ここまで大胆に見せつけられると、目が合うとこちらが引け目を感じてしまうのは何ででしょう?今更、寝たふりも出来ず、かといってじーっと見るわけにもいかずで、目のやり場に困りました。いろいろポーズを変えつつ撮影は続き、おかげでいろんな角度から、あられもない姿態を見せられる羽目になりました。お断りしておきますが、これは自分の意志とは関わりなくですからね。
次に停まる駅は新宿駅です。新宿駅のホームに電車が進入していくと、この連中は何事もなかったように立ち上がり、車両のドアが開くと、ごく普通の人として出て行きました-まるで、そんな事なんか無かったかのように。
この四ッ谷から新宿間、たったの約5分でしたが、強制的にAV撮影の風景を目撃したのでした。














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■感激の天体ショー [私の昭和30年代]

■感激の天体ショー

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

小学生の時仲が良かった友達の家は比較的に裕福な家庭でした。彼の家に遊びに行くと、たいてい新しい何かがあるのです。
ある日その彼に呼ばれて家に遊びに行きました。夕食をご馳走になり夜を待ちました。さて今日は何を見せてくれるのだろうと期待が膨らみます。彼に促され庭に出ると、そこには天体望遠鏡(屈折望遠鏡)があったのです。
僕がまだ子供の頃は、天体望遠鏡なんて高値の花で、とてもサラリーマンの家庭では買ってもらえるものではありません。天体望遠鏡も凄いと思いましたが、感激はこのあとでした。
なにやら方角を調べて、天体望遠鏡を夜空に向けている彼が呼びます。そこで彼と交代してアイピース(接眼レンズ)を覗くと、なんと見えたのは土星でした。天体望遠鏡の視野の真ん中に、土星が捕らえられていて、ちゃんとあのリングまでくっきりと見えたのです。初めて見た惑星でした。気の遠くなるような距離を隔て、手の届くような所に見えるその素晴らしさは、今でも胸が熱くなります。神秘的で綺麗でした。
そのあとで見た木星も明るくこれまたすごく綺麗でした。
そして、低倍率にしてプレアデス星団を見ました。これは、おうし座の散開星団で日本名は「すばる」です。地球から遙か400光年の距離にあり、肉眼でも輝く5〜7個の星の集まりを見ることが出来るそうですが、天体望遠鏡を通してみた星団はもう神秘的としか言いようがない輝きで、思わずため息がでました。
今考えれば、当時より性能も良く安い天体望遠鏡が手に入りますが、あの時の感激は一生ものだと思います。今でもあの神秘な天体の様子を思い出すと心ときめくのでした。小学校の高学年の時の思い出です‥‥‥。














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初めてのパトカー [つれづれ帳]

初めてのパトカー

~私の体験記~

これはだいぶ昔に会社で仕事をしていた時の話。
会社の同僚と会社の車で打ち合わせに出かけた。車の運転は同僚がしていて、僕は助手席に乗っていた。曇りだった天気がさらにくずれて、やがてポツポツと雨が落ちてきた。
車は丁度十字路で右折するところだった。ほぼ右折が終わったあたりで、傘を差した自転車が突っ込んで来た。自転車の人は傘で完全に前が見えていなかった。僕の方が先に気づいて同僚に「ブレーキ!」と叫んだ。車はすぐ停まったが傘を差した自転車はそのまま突っ込んできて、ドンッ!という音と共に自転車の人がボンネットの上にドサリッと転落してきた。自転車の人は学生らしい男性ですぐに立ち上がって、しきりに僕たちに謝っていた。自転車は少し歪んでいたが、本人には怪我もなく、本当になんともなかった。だが、近くの商店の人が慌てて出てきて「警察を呼んだから居てくれ!」と言うのだ。自転車の本人も警察は呼ばなくていいですと断っているのに、商店の人は譲らない。その理由が以前、やはり事故があり警察を呼んだとき、事故の当人たちが居なくなってしまった。なのでまた当事者が居ないと、電話をした自分としては困るという事であった。そしてご丁寧に腕を捕まれてしまいどうにも動きが取れない。
そのうちパトカーと救急車が来た。警察の現場検証に立ち会う。現場検証は完全に警察のペースだ。自転車の学生は救急車の人と話していたが、やはりなんともないようだった。でも、一応病院に向かった。助手席の僕は第一発見者として調書を取られる事になった。会社の車は警察官が運転して所轄の警察に先に向かった。僕はひとりパトカーに乗せられて、横には警察官が付きそう。なんか自分が犯人になったような感じになる。パトカーに乗るとき思わす世間体を気にしてしまった。何故かニュース映像の顔を隠す犯人を思い出す。しかし初めてのパトカー乗車だった。それはそれでなんだか嬉しい。
そして警察署で取調室に入る。これだぁ、あのドラマとかの取調室だ。机がひとつ、パイプ椅子。スタンドこそ無かったが間違いなく本物の取調室だ。そこで調書を取るのだが、自分で書くのだと思っていた。だが、そうではなく担当の警察官が事情を聴きながら文章をまとめるのだ。これは知らなかった。運転していた同僚が必ずしも悪いという状況でなかったので庇うような発言をすると、すかさず「もっと注意していれば、よかったんじゃないか」とか、上手く答えを誘導していくではないか。これか‥‥官権の力ってのは!とは思っても警察官の誘導のままに答えるより仕方なかった。15分位で調書は出来上がり、署名をする。あっけなく終わった。運転者の同僚の方の調書がまだ終わっていなかったので、警察官と世間話をしているうちに雑談となり、下世話な話題で盛りあがってしまった。そういえば警察官と話していて大笑いしたのは初めてだ。あとで、同僚に怒られた。「なんで、楽しそうに笑ってるんだよ。こっちは大変だったんだから」と。幸いなことに、やはり自転車の学生に異常はなかった。









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■貸し自転車 [私の昭和30年代]

■貸し自転車

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

自転車に乗れるようになったのは小学生になってからだった。当時は東京の文京区のほぼ真ん中辺りに住んでいた。その頃は自転車を持っている子も少なく、自転車屋さんから貸し自転車を借りて乗り回していた。この貸し自転車は結構派手な色が塗ってあった。真っ赤、真っ黄、真っ青、真っ緑、真っ黒などがある。子供の頃は別に色など気にしていなかったのでどれでもよかった。これを1時間10円で貸してくれた。たいてい2時間は借りていた。
この自転車で5~6人の友達と不忍池まで行ったことがある。時には後楽園、今の東京ドームや小石川の植物園、さらには駒込に近い六義園あたりまでが行動範囲だった。しかしこういった所まで行くのは、子供では結構な冒険であり、普段は近所の公立高校のグラウンドで風を切ってぶっ飛ばしていた。
その公立高校はグラウンドが広く、校舎前に50メートルはある石ころだらけのグラウンドと、さらにそれよりやや整備された大きいトラックがあった。あと裏手に回るとテニスコートが2面あった。テニスコートで自転車に乗ると、守衛のおじさんに強烈に怒られた。しかし、なんで怒られたか判らない。後日、テニスグラウンドを整備している部員を見て納得した。大きなローラーでコートを懸命に整備している。「そうか、デコボコがあるとボールがちゃんと弾まない。それで自転車で走るとコートが荒れてしまうので、怒られたんだ」というわけだ。しかし、テニスコートは走っていて気持ちいいのは確かだ。初めて自転車に乗れるようになったのは、このテニスコートのおかげだった。
なので、もっぱらぶっ飛ばして遊んでいても怒られない、校舎前のグラウンドで遊んだ。その日も、貸し自転車を借りグラウンドに向かった。だが、その日借りた自転車はいつもよりサドルが低く乗りにくかった。なので、サドルをグルグルと少しずつ回して引っ張りサドルを高くした。みんなで平行に並んで速さを競ったり、西部劇みたいに自転車から他の自転車に飛び乗ったりして、それは楽しく遊んでいた。そのうちにサドルが下がってしまい、またグリグリと回して引っ張り高くした。自転車での体当たりゴッコをしている時に、それは起こった。ドンッ!と友達の自転車に体当たりした時、高くしていたサドルがそのショックで取れた!サドルが取れてパイプが剥き出しになる!気づいた時にはもう遅く、そこに座ってしまったのだ!「ウグッ!」パイプは丁度、お尻の穴とあれの中間を直撃!「ムグ~ッ!!」でだめ押しにこすれたのだった!思わず自転車から手を離して立ち上がり、その場でピョン!ピョン!と男の子特有の痛みに跳ね回った。幸いヒリヒリはするが、おかしな事にならなかった。この時、友達は誰も笑わなかった。ちゃんと集まって心配してくれたのだ。それ位ヤバそうな表情だったのだろう。
後日自転車を買って貰った。初めてのったのはこのグラウンドだった。気持ちよかった。

















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■ゴム跳び [私の昭和30年代]

■ゴム跳び

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

なわ跳びで思い出しましたが、ゴム跳びというのがありましたね。おもに女の子の遊びなんだけど僕たち男の子も加わりやりました。輪ゴムを集めて繋いでいき2~3メートル位にします。それをふたりで持ち、引っ張ります。そのピンと伸びたゴムを跳びます。始めはくるぶしの高さから始めて膝、腰とだんだん高くなって行きます。
女の子は下着が見えないように、下着の中にスカートをたくし入れて即席ブルマーにするのが定番でした。本当に女の子は凄いことを考えるなぁと感心します。だんだん高くなるにしたがって技を出します。高い所のゴムを跳ぶ時には片足先を振り上げてゴムに引っかけ、身体をクルッと回転させて跳びます。ゴムに足が届かないと出来ません。同じ年だと女子の方が背が高くて、ゴムが頭の高さだと自分の背より高く足が上げられないとまず跳べません。跳べないとゴム持ちと交代します。この遊びも輪ゴムが必要なだけで、まったくお金が掛からず、しかも楽しく遊べました。
ある日、助走をつけて自分の背の高さより足を上げて跳ぼうとしたとき、半ズボンの縫い目ビリッばかり裂けました。黒い半ズボンから白い下着が見えてしまい恥ずかしかったです。あの頃の女の子は、あっけらかんとして、下着にたくしこむ即席ブルマーからカモシカのような脚がすらりとのびていて、臆さずに男の子のようにゴムを跳ぶ姿が綺麗だと思いました。あの頃は「みんな生き生きしていたなぁ」と想いを馳せるのでした。


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菓子工房「Ruban」リュバンのご紹介 [スイーツ]

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菓子工房「Ruban」リュバン
府中駅から歩いて5~7分の所にあります。
夏に行った時のものです。季節限定に目がいってしまいます。

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府中 菓子工房 「Ruban」リュバン の店内にはテーブルが2卓あって、
そこで珈琲か紅茶のセットでスイーツを食べる事ができます。

妻が頼んだのは「プリンアラモード」と「チーズケーキ」の2品に珈琲、
僕は「ガトーフロマージュ」と珈琲でした。

「チーズケーキ」はやや濃厚なしっかりしたお味で、
そこそこ甘いですが良い感じの甘さです。
上に乗っているブルーベリーがいいアクセントになっています。

「プリンアラモード」もフルーツが新鮮でプリンも美味しい。
季節限定です。入れ物は持って帰りました。
妻はこの2品をいとも簡単に完食しました。スイーツは別腹ですね。

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「ガトーフロマージュ」は僕には甘めに感じましたが、
これがなんとも幸せな甘さで嬉しくなります。
珈琲によくマッチしていて美味しかったです。僕は1品で十分です。

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こちらはテイクアウトしたものです。

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■豆腐の角って痛いの? [私の昭和30年代]

■豆腐の角って痛いの?

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

寒いときは鍋が美味しいが、湯豆腐をやると思い出すことがある。
子供の時、朝ご飯の前にやらされるのが、鰹節をけずること。カンナみたいな鰹節削りで、シャコシャコと鰹節を削る。下手をすると鰹節が粉みたいになって下の引き出しにたまる。上手くいくとかんなくずみたいに削れる。これが意外に楽しくて上手く削れるように努力したものだ。鰹節が大きいときは危なげなく削れるが、ちびてくると慎重にやらないと指を削ってしまいそうで怖い。実際爪を削ってしまったことがあったが、指は無事だった。
あと、よくやらされたのが海苔をあぶることだった。炭の火鉢で焦がさないようにあぶるのだが、これも単純ながら技がいるので面白かった。ちゃんとあぶった海苔はパリパリしていて香りも良かった。
で、本題の豆腐であるが、母は結構気が短くて、僕がヘマをしたり、テストの成績が悪かったり、言いつけを守らなかったりすると必ず言われたのが-「豆腐のかどに頭ぶっつけて死んじまえ!」という啖呵(たんか)だった。今考えると凄いこと言われていたと思う。今ならさしずめイジメだと言われそうだが、子供の時はなんとも思わなかった。
しかし、想像はした。豆腐に頭をぶっつけると痛いのかなとか、木綿豆腐?絹ごし豆腐?どっちと本気で考えてしまった。なので、切った豆腐を箸で挟むときに崩さないように気をつけるようになった。おかげで崩れやすいものでもやんわりと箸を使うことが出来るようになった。それにしても「豆腐のかどに頭ぶっつけて死んじまえ!」という啖呵はすごいユニークな発想だな。
















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■忍者のシッポ? [私の昭和30年代]

■忍者のシッポ?

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

まだ小学生の低学年の時、冬場になると母が「あんたは、すぐお腹をこわすから」と言って、腹巻きを出す。これが、なんと普通のサラシで3メートルちょい位ある。これを腹に巻かされていた。
ある日、学校からの帰り道で、友達が後ろから声をかけてきた。「こたちゃん!シッポが出てる!」その声に振り向くと、友達は盛んに足下を指さす。見れば白い布が半ズボン2メートル位からはみ出して歩道にたれている。腹巻きがわりのサラシがほどけて、半ズボンからはみ出ていたのだ。
そこで思いついた。「そうだ、忍者は布を地面に着かないように走る訓練をするんだ」とばかりに走り出した。走るとサラシは宙に舞いひらひらとはためく。「おもしれーっ」と歩道をぶんぶん走っていると、通行人が笑っているのに気づいた。「あっ、なんか恥ずかしいことやってる、オレ?!」と遅まきながら気づいた。
停まってはみたが、人前ではさすがにまき直す勇気はない。「そうだ!取っちゃえばいいんだ」とお腹に一巻き位残すだけだったので、強く引っ張れば取れると思った。で、思い切り引っ張った!だが、世の中はそう甘くはない!残りのサラシは腹にきつく巻き付き抵抗する。となるといきなり引っ張った勢いで、サラシはグッ!と股間にくい込んだ!かなりの思い切り引きだったので、あそこのタマがつぶれるかと思った!スゲー痛てーっ!思わずうずくまってしまった。醜態を隠すつもりがさななる醜態を生み出したのだ。追いついて来た友達が心配そうに言う。「しっぽ大丈夫?」友達も動転していたようだ。オレを心配しろっうの‥‥














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虫歯の逆襲! [つれづれ帳]

虫歯の逆襲!

~私の体験記~

これは高校生の時の話。
自分から見て、下右奥から2番目の永久歯が虫歯になっていた。この虫歯は抜け替わったときにすぐ虫歯にやられてしまったもの。近所の商店街にある歯科医院で治療してもらったが、これがとんでもないヤブ医者だった。必要以上に深く削られ、あろうことかミスって神経まで抜かれてしまったのだ。今なら絶対医療ミスだろう。
詰め物も技術が下手なせいか高校の時に痛んできた。その歯が異常に痛くなんか歯がぐらついているではないか。歯茎も腫れてきてぶよぶよしている。かなりヤバイなと思い歯科医院に行くことにした。その時は引っ越していたので、近所に本当に上手い先生が居たのだ。
さて病院に行くと休業日ではないのに張り紙がしてある。「八丈島に検診に行きます」とあるではないか!うそだろうと何度も見返すがその張り紙はそこにある。戻るのは2日後とある。ここは例の商店街の歯科医院に行く手もあるが、あそこだけは嫌だ。なので先生が戻ってくるまで我慢することにした。男の子は我慢である。
その日の夜辺りから痛さがさらに酷くなってきた。歯茎の腫れも大きくなっているみたいだ。食事が思うように取れない。なんか熱も出てきたようだ。でも我慢して寝た。よく寝れば少しは違うだろうと勝手に思った。だがそれは甘かった。
翌日からはもう一段強い痛さに変わった。痛さが鼓動のようにドクドクとするのだ。母にほっぺが膨らんでるよと言われて鏡を見ると、右のほほがぷっと膨らんでいる。それとすごい肩こり。熱を測ると38℃弱。とにかく冷やす。先生が戻るまであと1日ある。その日は母が柔道整体のおじさんが呼んでマッサージしてもらっていた。僕も肩の辺りをやってもらった。が、それで血行が良くなったのか、痛さのランクがさらに上がった。その日はさらに熱が上がり39℃辺りまで上昇。痛さズキンズキンズキンのドクッドクッドクッになった。こうなると冷やしても眠れない。
さて翌日は先生が戻ってくる。その希望を胸に過酷な拷問に耐えるのだった。ほっぺの腫れはさらに酷くなり、痛みは引き続く拷問のようで涙が出てくる。熱はとうとう40℃に近くなった。もう食べる余裕はない。しかし、痛いときって不思議と生きていることを感じるのはなぜだろうか?なんて考えている。翌日は先生が居る。頑張れ!という気力はすでに痛みで失せて、もうダメだの感覚が支配する。ぐったりとした身体に、意地悪くもゆっくり流れる時間と闘うのだった。
さて翌日朝一番で先生の所に。さすがに先生は「何でもっと早く来なかったの」とは言わなかったが、不在でごめんと言って見てくれた。まずは炎症を抑えるために抗生剤を貰った。炎症があるうちは本格的な治療が出来ないのだ。
診断の結果は「骨膜炎」だった。
ご存じ無い方が多いと思うので「骨膜炎」について説明。
虫歯の穴や歯周ポケットから細菌が入り込み、強い痛みや、腫れ、発熱などを引き起こす病気で、炎症がひどく歯茎だけでなく顎の骨を覆っている骨膜にまで達します。重症になると炎症が肺付近まで及ぶ事もあり、こうなると血液の中にまで細菌が入り込み全身にまわると死に至る事もあるそうです。
う~っ、そうとう恐い病気になってたんだ。抗生剤(抗菌剤)を飲んで炎症を押さえてから原因となる虫歯の治療を行う。若かったせいか薬を飲むと割にすぐ楽になった。炎症も治まり痛みもウソみたいに楽になった。そこでいよいよ治療に入る。歯を診て先生は「これは抜かないとダメだな」と一言。まだ永久歯は抜いた事がないので、これより未知の領域に突入。正直恐いです。歯を削るのもそうとう恐怖感がつのりますが、抜歯となるとまた違う恐怖感がつのります。
麻酔の注射針が歯茎に突き刺さる。ズブッという感じがし、ズッと針が歯茎に中に入っていくのだが、それが普通は顎の骨で止まるところが止まらない!まるで歯茎の反対側に突き抜けるような感じがするではないか。先生が「これ、骨、溶けてるね」と言う。思わず動揺する。こちらの動揺をよそに麻酔薬がググッという膨らむような感覚で注入されるのだが、なんか量が多いような気がする。麻酔薬があふれ出て舌にさわると、苦い味と共にすぐ舌が痺れてくる。
そこで麻酔が効くのを待つ。ふとイスの脇を見るとペンチみたいな道具が見える。そうだよな、抜く時は力わざだよな…。緊張感がさらに高まる。なんか動悸もする。麻酔が効いてきて、口のまわりが腫れぼったく感じるようになる。感覚が無くなる。いよいよ抜歯。実際、抜歯する時は最終的にはペンチを使い、力で引き抜く。先生の手がブルブルする位力が入る!時間が長く感じる。こちらの手にも力が入る。思い切り肘掛けを握りしめて耐える。どんどん引っ張られていく感じがするので、反発してこちらも力が入る。突然、引っ張られる感じがスッと無くなった。歯が抜けたのだ。ペンチで抜かれた歯は血だらけだった。自分の歯でも観たくない代物だ。とにかくホッとして、力を抜いた。奥歯の永久歯なので歯茎に大きな穴が開いたようになっている。少し休んで、これからこの穴を縫うのだ。
そこで痛みが出てきた。どうやら麻酔が切れてきたらしい。先生に呂律の回らない状態で「麻酔きれてきた」と言う。そこでまた麻酔剤を注射。思い切り麻酔薬が漏れまくっている!口中が苦いし痺れるしで気分が悪い。抜歯後の傷口を縫うのも、縫われている感じがちゃんとするが、痛くはない。「よく我慢したね」と先生に言われても、ぐったりで力なく頷くのみ。化膿止めと痛み止めの薬を貰って、「なんかおかしかったらすぐ来てね」と先生に送られて家に帰った。
家に戻った辺りから、麻酔も切れて痛みが出始めた。炎症を起こしていた時とは違う痛みだ。舌で傷口辺りを探ると穴が大きかったことが判る。その日は夕食が食べられなかった。痛みもかなり酷くなってきたのが、炎症を起こしていた時よりは楽だと思った。なので痛み止めは最初の1錠だけしか使っていない。あとはひたすら痛みを耐えた。日に日に痛みは和らぎ傷も塞がっていった。

教訓としては、虫歯や歯周病は「痛くないから大丈夫」などと安易に考えてはいけません。定期的に歯科医院に行き治療の必要な歯は治しておくにかぎります。これ経験者の忠告、心して肝に枚ずるべし。

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■小学校のトイレにて [私の昭和30年代]

■小学校のトイレにて

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

小学校の時たまたま自習の時間になった。そこでみんなから用務員のおじさんを呼ぼうということになった。用務員のおじさんは恐い話得意なのだ。早速学級委員が呼びに行った。おじさんは到着すると、「この話をするとトイレに行けなくなっちゃうよ」と言うので、何人かが今トイレに行くっと手を挙げた。僕もそうだ。
話が始まる前に数人でトイレに行った。みなでションをしていると、隣の純くんがシッコをしたまま、なんと後ろにさがりだした。ションはちゃんと便器に見事な放物線を描いて届いている!純くんはアレをホースの口を細くすると水が遠くに飛ぶ原理を用いてコントロールしているのだ。2メートル位さがった所で「今日は水分が足らないな」とか言って前へ慌てて進みシッコを終えた。まったくこぼす事も無くだ。みんなで拍手した。誰ともなく「また見せてよ」という声があった。純くんは頷いた。
翌日、純くんが「今日やるから」と言いつつ水飲み場で、ゴクゴクと水を沢山飲んだ。次の休み時間に数人が純くんについてトイレに行く。その日は初めから気合いが入っていた。水も沢山飲んでいた。最初から勢い良く出さないで、絞り込んでいるではないか!凄いテクニックだ。そして徐々に後退していく、その日はそのまま約3メートル位さがった所にあるトイレのドアに背中が付く所まで到達した。それにしても、アレを上向きにして見事に芸術的なまでの放物線がトイレの中でキラキラしていた。「記録達成!」とまたみんなで拍手。純くんはまだションを続けたまま前進し無事シッコを終えた。こんな話は女子にすると思い切りバカにされるので、みんなの秘密になった。その頃のみんなは思っていた「こんなこと絶対女子には出来ないよ」って。偉すぎ、純くん凄い。本当にほんわかしている小学校時代だった。
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予備校のトイレにて [つれづれ帳]

予備校のトイレにて

~私の体験記~

これは、まだ予備校に通っていた頃のトイレであった出来事。
その日はちょうど、予備校のテストの日であったが、朝からお腹の調子が悪い。予備校に着いた辺りでお腹が痛くなりトイレに駆け込んだ。
トイレの扉を開けたとたん唖然とした。トイレは和式で当時ではよくあるトイレだった。だが、壁という壁に文字や絵がびっしりと描かれているではないか!それも赤裸々な叫びのように卑猥な言葉が書かれているのだ。絵も、もろ卑猥な猥褻図画で、リアルなのから、ド下手のまで、所狭しと描かれている。「うあっ、なんだこれ!」何度か消された跡があるが、いたちごっこだったようだ。とにかくお腹が痛いので用を足す。すると、目の前に小さな字で何か書いてある。『右をみて、素敵なあなたぁ』とある。つい右を見るとやはり同じ字体で『うふぅ~ッ、いいわぁ、左を見てね』とある。素直な僕は左を見た。こんども同じ字体で『もうすぐよぉ、おねがい来て、後ろを見て~ぇ』とある。ここまで来ると変な期待を抱きつつ後ろを見るよね、普通さ。僕も期待してゆっくりと後ろの扉を見た。そこに描いてあったのは『バカが見る~ッ!』といいう文字だった。当時純情だった僕はいたく傷ついたのだった。


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特急メイクの女子高生 [つれづれ帳]

特急メイクの女子高生

~私の体験記~

涼しくなってきて思い出した。今年の初夏に見た女子高生は鮮烈だったと。
あれは、京王線の調布から府中へ向かう特急電車での事だった。
調布の駅から電車に乗った。僕が座るともう席に空きはなかった。発車間際にその女子高生は軽やかに乗り込んで来た。サーと車内を見渡し座れる所がないとわかると、僕の左前、車中のほぼ中央に鞄をおいてスックと立った。なんか美人系で体型もカッコイイ娘だなと思う。すると、肩くらいの髪の毛を後ろで束ねた。そしてスカートの上を折込んでいくと、膝丈まであったスカートはすぐに、かなりのミニスカートになった。次いで鞄の中から化粧道具を取りだしてメイクを始めた。鏡を片手にチークを入れる。車内は時折揺れるがバランスは抜群で手元は狂わない。淡いアイシャドーまで入れる。小さなハサミまで出して眉を整える。それだけで引き締まった美人系素顔にさらに可愛さがプラスされ際だっていく。僕は心の中で思った。「これからデートだな」と。府中へ到着のアナウンスが流れる。最後に束ねた髪をとき、髪を整える。調布から府中間は途中停車なしの5分だ。わすか5分で立ちながらメイクし見事に綺麗になった女子校生がいた。電車から真っ先に降りるキビキビした無駄のない動き。おっと、僕も降りなくちゃ。慌てて彼女の後を探すがもう見えなかった。彼女が会う彼って、いったいどんな彼なんだろう。気になる。初夏の日差しに、青春の日の一番輝く時期、ああ彼女は本当に素敵だった‥‥‥ってため息ついてどうする。














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階段を踏み外した女性へ手を [つれづれ帳]

階段を踏み外した女性へ手を

~私の体験記~

これもそうとう以前の話です。
友達とふたりで池袋のパルコに行きました。その日は階段を上がって何時もの喫茶店へ向かっていました。
すると「きゃっ!」という女性の声が聞こえました。僕は即座に友達に「何かあったぞ」と声をかけて、音の方向からすぐに下の階へ走りました。すると、そこには若い女性が尻餅ぺったんの状態で足を広げていました。僕が、階段を下りてくる方角からだと、女性の下着は丸見えです。そして、買い物したらしき品物が散らばっています。どうやら、階段を踏み外したようでした。
僕は大いに焦りました。まず丸見えの下着をどうするか!です。さっさと女性に近づき、さりげなく、まくれているスカートをのばして声をかけます。「お嬢さん、大丈夫ですか?」まだ、フリーズして、びっくりの女性はかろうじて小さい声で「はい」と答えました。僕はささっと周りに散乱している品物を手提げバックに戻します。そして彼女に手を伸ばして立たせてあげました。荷物を渡して再度「大丈夫ですか?」と聞きました。女性は「あ、ありがとうごさいます。大丈夫です」と言いました。
この間、僕の友達は何もする事もなくただ立っていました。それ位僕の行動が敏速だという事か。そのままだと、女性が恥ずかしいだろうと思い、僕は「じゃ」と女性に声をかけ、友達をつれて颯爽と上の階へと急ぎました。
後で友達が「なんでわかったの」って聞きます。僕は答えます。「なんで転んだってわからなかったの?」心の中で、何かあった時の声は違うって、なんで気づかないんだろう、鈍いやつだなと。それにしても、あの女性、可愛かった。



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エレベーターの隙間に手が [つれづれ帳]

エレベーターの隙間に手が

~私の体験記~

これも以前にあった話。
仕事仲間3人と食事をした後、雑談しつつ仕事場のあるマンションに戻ってきた。そのとき、子供の泣き声が聞こえた。誰もそれを気にしなかったが、僕は「おかしい、ちょっとみんな行こう」と皆を引き連れて、泣き声の方へ向かった。
そこにはエレベーターがあって、まだ学校前らしき女の子の手が閉じた扉と扉の隙間に挟まっていた!それで泣いていたのだ。それをお母さんが一生懸命、無理矢理引っ張っているではないか。僕は慌てて、それを止めさせて、挟まれた手をよく見ると、扉と扉の隙間に手首までもぐっている。これでは、挟まれた方もビックリしたろうし、すごく痛いだろう。このままでは無理に抜けないと思い、仕事仲間に通りにある板金屋からバールを借りて来てと指示した。すぐ板金屋のおやじがバールを持ってやってきた。バールを差し込み隙間を広げると、いとも簡単に手を抜き出す事が出来た。
お母さんはお礼もそこそこにエレベーターに乗ろうとする。僕が「あの、病院に行った方がいいと思いますが?」と言うと、お母さんは「あ、大丈夫です、これ位」と言う。でも、女の子の手は赤く腫れているし、念のため病院に行った方がと再度勧めても、お母さんは大丈夫ですとエレベーターに乗り行ってしまった。
この話を妻にしたら、「きっと恥ずかしかったんじゃない。後でちゃんと病院に行ってるよ」と言う。そんな物なのかとは思うが、確かにあのお母さんバツが悪そうだったね。
仕事仲間がなんで事故って解ったかとしきりに不思議がる。確かにいつも子供の声とか聞こえているから、普通ならそのまま聞き過ごすと思う。でも、同じ泣き方でも切迫度が違うっていうを説明したら、みんなが凄いと言う。いつもと違う感じって解らないものなのだろうか‥‥‥。











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新宿駅のトイレにて [つれづれ帳]

新宿駅のトイレにて

~私の体験記~

新宿駅で冷えたせいか急にトイレに行きたくなってトイレに行った。トイレの奥に中年の土木作業員の格好をした人が用を足すわけでもなく居た。なんか嫌だなと思って居るうちに、その人と僕だけになってしまった。僕が用を足している最中にその男が近づいてきて「兄ちゃん、金くれないか」ってすごんで言うのだ。僕は「交番で貸してもらえば」と言うと「ヤバくてできるかよ」って答えた。そしてチラチラあそこを見るし、なんか目が泳いでるし、危ないヤツだなと思うが、そういう時に限って誰も入ってこないもんだ。なんか、だんだん腹が立ってきた‥‥なんでよりによって僕の時にって。無理矢理途中で用足しを我慢して(大変だぞ)、そいつに怒鳴ってやった。「あるわけないだろっ!」で、さっさと外へ向かった。幸い追っては来なかった。やはり不況のせいだろうか、定かではないが人間の不気味さを感じたトイレだった。
タグ:トイレ 新宿
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■トラウマになった切り干し大根 [つれづれ帳]

■トラウマになった切り干し大根

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

皆さん切り干し大根ってご存じですか。実は、あれ大嫌いなんです。
それは小学校低学年の時でした。母が中くらいの鍋で切り干し大根の煮物を作っておりました。切り干し大根と油揚げが入っただけの煮物なのですが、当時はなかなのご馳走でした。まだ煮える少し前に母が「ちょっと、味見して」と小皿に取ったものを試食したのですが、これがものすごく美味しかったのです。なので、試食のおかわりをして、これがやはりまたまた美味しかった。それで、また試食の試食のおかわりをしているうちに、鍋の切り干し大根が半分くらいになってしまいました。母は「まだあるから足そうね」と追加して煮込んでいます。その匂いにたまらず、まだ完全に出来上がっていないのに取ってもらって食べました。なんか美味しくて止まらず結局また鍋の半分位、ひとりで食べてしまいました。しかし、後から追加した切り干し大根はまだ十分に煮汁を吸っていない状態でした。
いきなり気持ち悪くなってきて、子供のことですから、ものすごい勢いでゲロしました。それが、お腹の中で水分を吸って膨らんだ大根が溢れてくるという感じで、さらに気分が悪くなりまた「うぷ」となり、もどせばもどすほど生の大根に近くなり、その匂いと共にとにかく苦しい。合計でほぼひと鍋ほどの切り干し大根はお腹のなかで水分を含み、もとに戻りあふれ出たのでした。母は怒ったりしませんでしたが、大いに呆れ果てていました。
この一件以来トラウマとなり、切り干し大根は見るのも嫌、匂いも嫌、完全に食べられなくなりました。今でもだめです。一口で気持ち悪くなります。
でも不思議なことに、生の大根おろしとか刺身のツマの大根は大丈夫です。











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耳鼻科にて [つれづれ帳]

耳鼻科にて

~私の体験記~

鼻が詰まって喉が痛いので耳鼻科に行った。もとより耳鼻科は嫌いだが仕方が無い。
受付を済ませて待合室で待っていると、診察室にお祖父ちゃんらしき人と一緒に入った男の子の絶叫が始まった。どうやら中耳炎らしい。
経験あるが中耳炎自体の痛さはちょっと半端じゃない。脳の奥にじんじんくる、とても我慢できない痛さだ。それを切開して膿を出すのだから、その時はもっともっと痛い。切開の時に頭が動かないように、看護師さんにガッチリ押さえ込まれる。大人でもかなり恐怖だ。それを7,8才の子供が受けるのだから、ものすごい恐怖だろう。泣き出して突然叫び出す。「ドラえもん助けてーッ!!」を繰り返して暴れる。押さえ込む方も大変だ。先生が「すぐ済むからね」と言っても効果は無い。暴れるものだからなかなかメスが入れられない。さらにガッチリ押さえ込まれると、絶叫にかわった。今度は「アンパンマン助けてーーーッ!!」になった。不謹慎ながら「ぷっ」と吹き出してしまった。切開の後の男の子は涙でびしょびしょだった。やっぱり耳鼻科は嫌いだ。


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胃の内視鏡検査 [つれづれ帳]

胃の内視鏡検査

~私の体験記~

4年程前のこと、胃の検査でバリウムが辛いので、内視鏡の検査にしてもらった。
当日、初めての不安を胸にドキドキで緊張。当日の予約の人を見ていると余計緊張する。看護師さんが来る。
初めに胃の中の泡を消す薬を飲む。
次にゼリー状の局所麻酔薬を含まされる。これを喉の奥にしばらくとどめておく。結構これが難しい。気管に入らないようにしなくてはいけない。ゆっくりした腹式呼吸でこれを乗り切る。時間がきたらゴックンとこれを飲み込む。
さて、この病院では検査の前に精神安定剤を注射する。
そのあと医師が内視鏡を挿入。「ゆっくりと静かに腹式呼吸をくり返すと楽に検査が受けられます」と説明される。あと緊張しないで力を抜くのがベター。不安とは裏腹に意外にも楽だった。
内視鏡が胃に入ると空気を入れて胃をふくらませます。「ゲップを出さないように深呼吸をして我慢しましょう」と言われるが、バリウムより全然楽だ。検査は意外に「えっ」と思うくらい早く終了。一番辛いのが局部麻酔のゼリーだったとは。
検査所見を聞くために待合室で待っていると、精神安定剤がさらに効いてくる。ううっ眠い‥‥‥ボーッとする‥‥‥まだ喉の麻酔がキレていないので痺れている。順番が来て先生から説明を受け写真を見せていただく。
おおっ!胃の中にちょうど擦りむいたような跡があるじゃないか!結構ビックリ。「そんなに心配しなくて大丈夫です」と言われる。先生に答えようとして、まだ喉の奥が痺れているので声がガラゴロでまともな返事ができなかった。あと、ポリープもありそれは取って検査とのこと。えっあの短い時間の間にポリープまで取っていたとは素早いと感心。
薬を貰って帰り道なんかまだ足下がふらつく。家に帰って寝てしまった。
後日、ポリープは良性で大丈夫とのことであった。
その前年も胃の内視鏡検査をしたが、内視鏡のチューブが細くなっていた。かなり楽だ。最近は鼻からの内視鏡もあるので、病院の対応を期待している。
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エスカレーターにて躊躇の図 [つれづれ帳]

エスカレーターにて躊躇の図

~私の体験記~

これは今年の6月の事だ。その日は仕事が一段落したのでデパートに出かけた。街はもうすっかり初夏の装いで軽やかだ。
エスカレーターを使い書店のあるフロアを目指す。さらに3階から4階への、登りエスカレーターに乗ろうとすると、トイレの方向から女子高生がふたり話しながらこちらに来た。そして彼女たちは僕より早くエスカレーターに乗った。その後をに僕が続く形になった。
その時間館内比較的は空いていてのどかな気分だった。
ふと目を上げると、ほんの2メートル程前に乗っているふたりの女子高生のうち、右側の女の子のスカートが完全にまくれていて、ぱんつが丸見えだった。「えっ!うそだろーっ!」とよく見ると、ぱんつの上方部にスカートが挟まれて、完全にまくれているのだ。パンチラというのはよく経験するが、もろぱんつは初めてだった。僕に衝撃がはしった!幸いこのエスカレーターには他にお客は居ない。注意しようとして‥‥僕は躊躇した‥‥注意するのはいいが、どう思われるか‥‥それが気になる。目の前には白いぱんつ、スカートまくれている、をどうやって自然に注意出来るか、深く悩み、葛藤する僕であった。何でこういう状態になったのか、トイレでなのか、何で隣のお友達はこれに気づかないんだという疑問も残る。ノリノリで談笑している様子を見てさらに言い出せなくて躊躇する。
困り果てているうちに、エスカレーターから彼女たちは降りていった。この期に及んでは追いかけて注意するのも恥ずかしく、逆に変な目で見られるのも嫌なのであきらめた。どうすれば良かったのか未だに解らない。
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■なわ跳びの知恵 [私の昭和30年代]

■なわ跳びの知恵

これは僕の子供の頃の話。
『昭和30年代、僕はまだ小学生だった。』

近所の子が数人集まると、やっていた定番の遊びがなわ跳びでした。ひとり用のなわ跳びを2~3本繋げて大きくします。そうしてみんなで跳ぶのですが、ただ跳ぶのではなく郵便屋さんになって跳びます。なわ跳びを回す子が「郵便屋さん♪拾ってください♪○枚♪」と唄います。跳んでいる方は地面に落ちている○枚を拾う郵便屋さんという感じで跳びます。跳びながら地面に手を付けて手紙を拾う動作をして立ち、また跳ぶの繰り返しで○枚拾います。さてぼくが跳ぶ番になり、なわ跳びを回す子たちの唄を待ちます。「郵便屋さん♪拾ってください♪108枚♪」と唄いました。「ええ~っ、108枚!?ホントに?」とぼくが見ると、なわ跳びを回す子たちも笑いながらも、かなり張り切っています。「郵便屋さん♪拾ってください♪108枚♪」と譲りません。よしとばかりにぼくとあとふたりが輪に駆け込みます。「郵便屋さん♪拾ってください♪108枚♪」「1枚‥2枚‥3枚」と拾っているうちに30枚位から脱落者が出てきます。「ゆっくり回してよ」と跳んでる方が声を掛けます。ちょっとゆっくりになり少しだけ余裕が出てきます。それでも、またひとり脱落してとうとうぼくひとりで「70枚‥71枚‥72枚」と跳んでいました。それでもぼくは頑張りました。続けてとうとう108枚拾ってしまいました。これにはみんなから拍手が起きました。でも、もうへとへとのよれよれで跳べそうにありません。ぼくは今度はなわ跳びを回す方になりました。よしそれなら「郵便屋さん♪拾ってください♪3000枚♪」と唄ったら、みんなで大笑いになりました。でも、一応やってみようよと言う子がいるので、笑いながらも唄います。「郵便屋さん♪拾ってください♪3000枚♪」で、なわ跳びの中に入った女の子が「郵便屋さん♪100枚づつ拾います♪」ぼくは唖然としました。「100枚‥200枚‥300枚」ってそりゃ無いだろう。と女の子は3000枚をあっさりクリア!これにはみんなも大笑いで笑いすぎてしばらく力が抜けてしまいました。しっかし、女の子って頭良いよなと妙に感心するぼくでした。














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テレビの壮絶な壊れ方! [つれづれ帳]

テレビの壮絶な壊れ方!

~私の体験記~

まだ独身時代のときの話。
テレビでオカルト映画の「オーメン」を観ていた。映画館で見逃したので気合いを入れて観ていた。すると突然画面がグリーンになった。映画の効果と思ったがそういうシーンではない。ならばテレビの故障かと思い叩いたら直ったのでそのまま観ていた。またしばらくすると画面がチラつく歪むなど挙動不審になった。なので、また叩いた。ダメだ直らない。さらに思い切り叩いた。繋がったという感じでもとに戻った。よしこれで観られる。物語が進んでだんだん面白くなってきた。ちょうど大きなガラスが滑ってきてカメラマンの首に迫ってくるシーンで、見ている方も背筋がゾッとする!と同時にテレビの背後からボンという音と共に火花と煙が上がった!画面は狂ったように色が乱舞していると思ったら一気にブラックアウトした。なのでこの壮絶なシーンの結末も消えた。とにかくプラグを抜こうとしたらもの凄く熱くなっていて溶けかけていた。電気火災独特の臭いがするのでテレビの背後を見ると、火花は30センチ位の炎になっているではないか!さらに慌てて座布団で覆い空気を遮断。無事消火。テレビの背後の隙間から中を見ると部品が焦げているし、後部パネルも溶けている。完全に沈黙したテレビを眺めつつ、なんでこんなときに、映画とシンクロするように壮絶に壊れるんだよと思いつつも、オカルト映画の秘めたる力を感じたのだった。











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足の親指の巻き爪の手術 [つれづれ帳]

足の親指の巻き爪の手術

2年程前の2月に足の親指の巻き爪を手術した。
その4,5年位前から、両足の親指が巻き爪になり両脇の肉に食い込みひどく腫れて、膿が出てすごく痛い、血が出るなどの状態になるようになった。そのたびに皮膚科に行き化膿止めの薬と塗り薬をもらってくるのだが、こう度々だと面倒だ。
よく深爪をするとなるとは言うが、あまりしばしばなので医師に相談したら、根本的に直すには矯正か手術と、2つ方法があると説明を受ける。
医学的には、陥入爪(かんにゅうそう)と言うそうで、矯正の場合は爪にワイヤーを通して爪が巻かないようにする。手術の場合は巻いている部分を縦に切り取る。矯正は時間が掛かるので手術をすることにした。とくに酷いのは左足の親指なので、その右側部分を切り取る手術を受けた。
手術と云うとやはり緊張する。だがものの15分程であっけなく終わった。痛かったのは、麻酔の注射針が刺さる時で、麻酔が効き出したらもう恐い物はない。ドラえもんも必要ない。麻酔をかけていても何をされているか何となく解るが、痛くないので大丈夫。手術後、切り取った後の爪を見せて説明してくれる。血が付着していて如何にも生々しいが、約3,4ミリ位巻いている部分を縦に切ってある。付け根の白い部分に、巻けという信号があるのでこういう切り方をするそうだ。よく考えれば拷問ってこれを爪全体に、麻酔無しでやるんだよなとなんか思った。
手術後はサンダルを履いてすぐ家に帰れる。痛み止めと化膿止めの薬を貰ったが、そんなに痛まなかったので痛み止めは飲まないですんだ。2ヶ月程で手術あとの肉が傷を埋めてほぼ普通の感じになった。
今は足の爪は平らに切るようにし、深爪にならないように注意しているのでなんともない。足の爪は手の爪の3分の1の早さで伸びるので、手の爪と同じペースで切ってはいけないそうだ。








タグ:巻き爪 手術
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空き巣に入られた時のこと [つれづれ帳]

空き巣に入られた時のこと

~私の体験記~

まだ、独身の頃住んでいたのは、六畳一間と台所、トイレ付きのアパートだった。ちなみにお風呂はない。仕事も始めたての新人だった。
使っていたモノクロテレビが壊れたので、新しいのを買おうと金曜日に3万円ほど預金から引き出しておいた。
当時、まだ土曜休日という会社は無かったので、翌日は仕事に行った。その日は忙しくて、帰りは夜の11時過ぎになってしまった。帰宅して六畳間に入り電気を点けると万年床の上に様々な物が山積みになっているではないか。「え~っ、なんだよこれ。地震なんかなかったし、おかしいな?」と部屋全体をよく見ると、タンスの扉は開いているし、引き出しという引き出しは、すべて途中まで引き出されている。しばらく思考が停止していたが、その引き出しの中身が万年床にぶちまけられている、とやっと認識した。よくよく見れば泥の付いた靴の跡もある。慌てて仕舞っておいた3万円の引き出しを確かめる。ない!ないじゃないか!これはもしかして泥棒と思ったが、雨戸はしっかり閉まっているし、窓の鍵は掛けていなかったが、雨戸の鍵が掛けてあるので雨戸は開かないはず。出かける時に玄関の鍵もちゃんとかけていた。
隣のアパートに両親が住んでいたので、母にも見てもらった。「これ、泥棒じゃないの」やっぱりと納得。現場には手を触れず、すぐに警察に連絡した。さほど待つこともなく刑事さんと鑑識の人が到着して現場を見て検証を始めた。
やがて完全に鍵の掛かった状態で、なぜ室内に入れたのか明らかになった。この六畳間には窓が北側と西側にある。西側は1メートルほどの庭と低い塀があり、行き止まり道に接している。この西側の窓の下には掃き出し口がある。いわゆる箒で掃いて集めたゴミを外に掃き出す小さな窓である。どうやら泥棒はこの掃き出し口を外して中に入ったようだ。実際、この掃き出し口は鍵が掛かっていても、上に持ち上げるようにすると簡単に外れた。泥棒は、この掃き出し口から手を入れて、鍵の掛かっていない窓を開け、雨戸の鍵に手をかけて開けたようだ。そして、引き出しの中身を次々と音のしない万年床にぶちまけ、必要なものだけを盗んでいった。そう刑事さんに言われた。
すごく不思議だったのはその日に限って現金をおいていたこと、翌日には秋葉原にテレビを買いに行く予定だった。刑事さん曰く「お金のにおいがわかるプロの仕業だな」と言う。なんのことはない泥棒の方に運がついていたという事か。現金の他に盗まれた物は金のタイピンだけだったのでどうということはなかったが、やはり現金はきつかった。テレビを買おうと思い貯めておいたお金で、当時の給料からみても大金だった。さらに刑事さん曰く「犯人と遭遇していなくてよかった。刺されることもあるから」そうか、犯人と鉢合わせになったら絶対格闘してやると思っていたが、刺されるのは割に合わない。
母はこのことを翌日、昔からの母の親友に電話して話した。そうしたら、その小母さんがなんと10万円出してくれた。なのでカラーテレビが買えた。空き巣被害に遭ったが目的のテレビはモノクロからカラーになった。

これは警察からの注意事項。どんな些細な空き巣でも必ず警察に届ける事。これは余罪を追及している時に被害届が出ていない場合があると捜査に支障を来すとの故。














タグ:空き巣 六畳
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